スペシャル連載コラム「社会福祉士・青嵐さんの自立支援の現場から」障がい者福祉について考え続けるうちに〜「自立」とは何か?〜

第3回 教育から変えていくしか方法はないのではないだろうか?

暑い。昨日まで降り続いていた雨も上がり雲間からは青空が顔をのぞかせている。外のプールサイドでは保育士に追い立てられた園児たちが無遠慮に歓喜の悲鳴を上げている。無駄なノイズを身にまとっていないその姿は生き物が本来持っている生命力の強さを見せつける。

私はここに来るたびに考えさせられることがある。今となっては顔も名前も思い出せないが、いつの間にかいなくなってしまった「彼」の保育園時代の記憶である。

私が生まれ育った町では保育園を出ると幼稚園に1年間通い、その後小学校へと入学する。日本全国ほとんどの人が年数の違いこそあれ、このような幼児期から子供期を過ごしているのではないだろうか。しかし、それ以外の場合もあるということを障がい者福祉の仕事に就いてから知った。保育園は厚生労働省の管轄で児童福祉法に基づく施設である。通園する幼児に障がいの有無は関係ない。しかし、幼稚園からは文部科学省の管轄で学校教育法に基づく学校となり、障がいの有無が関係してくる。障がいを持つ多くの人は保育園を卒園した後、幼稚園には行かず、療育センターを経て、養護学校(特別支援学校)へと進むのである。私の記憶の中の「彼」も、どうやらこのようにして私の前からいなくなってしまったのだろう。

私は物心ついてから現在の職業に就くまでの間、障がいを持つ人と接することなく生きてきた。きっと日本人の多くがそうであろう。人は教育により生きる力、価値観や思想を持ち得る。とくに多感な子供時代の教育は重要である。同じ事柄に接しても大人になってからでは何も感じられない。「鉄は熱いうちに打て」であろう。その重要な子供時代に障がいを持つ人と別々の人生を歩んできた私に障がい者福祉について何かを感じ、何かを考えることはできるのだろうか。私は障がい者福祉の現場で一生主体性を持てないのではないのだろうか。そう考えてしまうこともある。

すべての国民が障がい者福祉の当事者となるにはどうすればよいだろう? 障がいを持つ人を取り巻く社会情勢は制度や表面上の倫理感だけでは解決できないほどに行き詰まってきていると思う。教育から変えていくしか方法はないのではないだろうか。障がいを持つ人と持たない人を分けて教育するという制度は役目を終え、新たな教育方法を必要としているのではないだろうか。すべての事柄がうまく着地できる場所などないだろうが、障がいを持つ人と持たない人が共に過ごし、共に悩み、共に苦しみ、そして共に大人へと成長したときに出る答えを私は見てみたい。
第4回へ続く。
 
青嵐 
生活介護・就労継続支援B型多機能型事業所職員。福祉の世界にとらわれない客観的かつ冷静な視線で、障がい者の「自立」とはどんなことかを考えて続けている社会福祉士。かたわら、伝統技術の習得に真剣に取り組む藍染師でもあります。
 
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