ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)

バスケチームがなくなっちゃったんですよ。で、テニス・・・みたいな感じで(笑)。

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)
ワッホー 齋田選手が車いすテニスをはじめられたキッカケは? ・・・はじめは車いすバスケットをやられていたとお聞きしましたが?

齋田選手 そうですね。自分・・・病気になる前はずっと野球をやっていまして、野球が大好きで、地元の少年野球チームに入って、小さいながらにプロ野球選手になりたいという夢を持っていたんですけど、病気で左足を切断して野球ができなくなって、でもなにかスポーツをやりたかったので探していたら、車いすバスケットが見つかって。で、1年くらいやっていたんですけど、あるとき、そのバスケットをやっている練習場でですね、「車いすテニスというのはこうやりますよ」という講習会が開かれまして・・・。その当時、日本でも車いすテニスが普及しはじめた頃で。その講習会を、車いすバスケットチームのみんなと受けたというのが、テニスをはじめたキッカケですね。
ワッホー 最初に車いすテニスをご覧になられたとき、体験されたときというのは、どんな感じだったんですか? ・・・というのも、齋田選手を拝見していると、からだも大きく強そうですし、野球をやられていたくらいだからチームスポーツもお好きだろうし、車いすバスケはとても似合っているなあと思いまして(笑)。

齋田選手 そうですね(笑)。

ワッホー なぜバスケからテニスに?

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)

齋田選手 はあ、その頃の自分は、スポーツができれば、バスケだろうがテニスだろうが種目はなんでもよかったんで(笑)、みんながやるものを一緒にやるという感じで、最初はバスケとテニスを両方掛け持ちでやっていたんですけど、バスケチームのみんなが、テニスの方が楽しいからバスケをやめてテニスをやる、となって・・・バスケチームがなくなっちゃったんですよ。それでバスケができなくなってしまったんで、「じゃあ、僕もテニスやります」みたいな感じでテニスの方にいったというか…(笑)

ワッホー あ・・・積極的にテニスではなくて、バスケがなくなったんでテニス?(笑)

齋田選手 はい(笑)。自分的にはどちらでもよかったんですけど、チームがなくなってバスケができなくなっちゃったんでテニス、というのがホント、キッカケというか・・・(笑)

ワッホー もし、その車いすバスケットのチームが残っていて、強豪だったりしたら、今もバスケをやられていたかもしれない?

齋田選手 バスケやっていたでしょうね(笑)。
 
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はじめた頃は、車いすテニスと言うと「え・・・?」という反応でした。

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)
ワッホー 今は、齋田さんとか国枝慎吾選手とか世界で活躍されている方がいらっしゃるので、ご存知の方も多いと思いますが、齋田さんが車いすテニスをはじめられた頃というのは、車いすテニスそのものをご存知ない方も多かったのではないですか?

齋田選手 そうですね。ここ10年・・・もうちょっと最近ですかね・・・7、8年前くらいからでしょうか、車いすテニスも随分と注目してもらえるようになってきましたが、自分がはじめた頃は、車いすテニスと言うと「え・・・?」という反応でしたし、車いすテニスを知っている人自体が少なかったので難しかったというか、一生懸命やっていこうと思っても、練習する場所がなかったりとか・・・
ワッホー 普通のテニスコートなどは借りられましたか?

齋田選手 その頃は全然ダメでしたね。

ワッホー 車いすで入るのがそもそもNG?

齋田選手 はい。やっぱり・・・事故が起きたときなどに責任が取れないとか、テニスコートに傷が付くとか・・・見たことのないスポーツなので、想像で言われていたと思うんですけど難しかったですね、一般のテニスクラブで、というのは。自分たちで、公営のテニスコートを借りて練習したり、障がい者施設で練習したりしていましたね、その頃は。

ワッホー 本格的に練習ができるようになったのは?

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)

齋田選手 アトランタパラリンピックの2年、3年くらい前ですかね。一般のテニスのプロとかも教えているコーチと、たまたま知り合いになれて。で、「練習するところがないんですけど」と相談したら「じゃあ、うちに来いよ」と言ってもらえて。当時自分は三重県に住んでいたんですけど、そのコーチのいる愛知県のテニスクラブまで片道1時間半くらいかけて行って、教わっていましたね。

ワッホー 齋田さんたちの積み上げられてきたものというのがあると思うんですが、その頃と比べて、今の環境は随分と変わりましたか?

齋田選手 そうですね。アトランタ大会の頃というのは、パラリンピックでさえメディアの注目度とかも全然なくて・・・(笑)。

ワッホー (苦笑)。
齋田選手 でも、今は、テレビで取り上げられたりとか、そういうことが増えてきているんで、そういった意味では認知度も高くなって、「車いすテニスをやっている」と言ったら「あ、スゴイね!」と。

ワッホー 以前と比べたら、随分とやりやすくなった?

齋田選手 そうですね。
 
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間違いじゃなかったという証明ができた。それがスゴクうれしかった。

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)
ワッホー 1996年アトランタ大会で、パラリンピック初出場を果たされました。日本代表に選ばれたときは、どんなお気持ちでしたか?

齋田選手 うーん・・・そうですねえ・・・自分はもともと、日本代表になりたいとか、日本のトップになりたいとかという気持ちでテニスをはじめたわけではなかったので・・・自分の場合、手の届くところ、手の届くところを目標にして、少しずつステップアップしてきた結果、そこに行けたという・・・。試合で強い選手に負けて・・・まあ、負けず嫌いなんで(笑)、やっぱり次勝ちたいから、どこをどうしたらいいか、自分の弱点であったり、伸ばさないといけないところを自分なりに判断して、次は勝ちたい、次は勝ちたいという、その繰り返しの結果というか・・・。だから、実際に日本の代表に選ばれたときとかトップになれたときというのは、そのことよりも、自分の考えてきたテニスとか、自分のやってきたことが間違いじゃなかったという証明ができたんで、それがスゴクうれしかったですね。
ワッホー 自分で納得することをやってきての積み重ね?

齋田選手 はい。だから、いきなり日本一を目指すというと、スゴク高いところなんですけども、自分の場合は単純というか、手の届きそうなところを目標にやってきたんで。まあ、運がよかったというのもあると思うんですけど。

ワッホー 身近なところに強い選手がいると、引っ張られて強くなる?

齋田選手 そうですね。大会とかに行って、対戦しなくても先輩たちの試合を見て、自分となにが違うのかなとか、そういう見方で見ていましたね。いきなり全部は難しいけど、この部分は追いつけるんじゃないか、この部分はもっと行けるんじゃないかとか、そういう目で見てましたね。
 
 
 
 
 
 
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