ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)

相談する人みんなに「やらない方がいい」と反対されました(笑)。

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)
ワッホー 世界で戦おうと思われたのはいつ頃でしょう?

齋田選手 海外で本格的にやっていきたいなと最初に思ったのは、アトランタ大会が終わったとき・・・96年頃ですかね。

ワッホー 初めて出場されたパラリンピックの後?

齋田選手 はい。そのときは、1回戦勝って、2回戦で当時世界一だったデビット・ホールという選手に負けたんですけども、やっぱり負けると悔しいという思いもあって・・・

ワッホー 相手が世界チャンピオンでも?

齋田選手 はい。自分が本気でやったらどこまでいけるのか試してみたかったし、デビット・ホールにも勝てるようになるのかな、チャレンジしてみたいなというのがキッカケでしたね。

ワッホー それで環境を変えられた?
齋田選手 そうですね。その当時は市役所に勤めていたのですが、けっこう忙しい部署だったので・・・残業とかもかなりあって、土曜日も仕事していたりしていたので、練習時間的にそれではちょっと厳しいなと。

ワッホー 迷われませんでしたか?

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)

齋田選手 迷いました(笑)。その当時は、障がい者スポーツでプロとしてやっている人とかもいなかったし・・・プロとしてやっていきたいなという気持ちはあったんですけども、選手を終えた後どうするのかとか、そういう問題もあったり・・・。安定した職に就いていたこともあって、相談する人、相談する人みんなに「仕事を辞めてまでやらない方がいい」と反対されましたし・・・(笑)

ワッホー 今でこそ障がい者スポーツの世界でもプロやプロに近い人がいらっしゃいますが、当時は障がい者スポーツ・・・車いすテニスで生きている人は・・・
齋田選手 ・・・いなかったですね。──もしテニスを本格的にやるんだったら、練習環境とかコーチのレベルとか、トレーニングルームとかもあって、トレーナーとかもいる・・・今通っているTTC(吉田記念テニス研修センター)でやるというのは決めていて、仕事も、今もお世話になっている車いすメーカーさんで社員として雇ってもらえることになっていて、しかもテニスをメインにしていいよと言ってもらっていて・・・そこまで条件が整っていたんですけど、それでも踏ん切りがつかなくて・・・(笑)

ワッホー 公務員から、というのがまた・・・両極端ですしね(笑)。

齋田選手 そうですね(笑)。で、1999年に踏ん切りをつけたんですけども、結局3年くらい迷いました。
ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)
ワッホー ものスゴク勇気のいる決断でしたね。

齋田選手 それまで何度か相談していたTTCの理事長に言われた言葉に後押しされた感じですね。練習場所とか、仕事も準備されて・・・自分、体格的にも大きかったんで・・・欧米選手とやっていけるだけの体格も持っている、実力も持っている、と。「そういう環境とか、からだとかを、すべての人が持っているわけではないよ」と。「チャレンジしたくても、だれでもがチャレンジできるわけではないよ」と。「チャレンジできる環境を持っているのはあなただけだよ、あなたがやらないとだれがやるんですか? チャレンジするのがあなたの使命じゃないですか!」と言われて・・・
ワッホー 確かに、だれにでもあるチャンスではないです。

齋田選手 ちょっと重たい感じもしましたけど(笑)。でも、確かに、自分にしかできなかったと思うし、自分がやらなきゃだれがやるの?という・・・使命感じゃないですけども、本当に自分は恵まれているんだな、という思いもあって決断しました。
 
ページTOPへ
 

練習相手探して、ダブルスパートナー探して・・・いっぱいいっぱいでした。

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)
ワッホー そのとき齋田さんがやられてなかったら、おそらく日本の車いすテニス選手がここまで世界で戦うことはなかったと思います。

齋田選手 そうかもしれませんね。自分がはじめた当時は、海外で活躍するというのは難しかったですからね。アジアの国から来た選手ということで、なかなか受け入れてもらえなかったし・・・

ワッホー テニスというのはもともと欧米のスポーツですしね。
齋田選手 そうですね。自分が最初行った頃は、仲間に入れないというか、そういうバリアみたいなものがあって、それを少しずつ溶かして・・・強い選手に勝ったりとか、結果を出すと認めてくれるんで。やっぱり結果が出ないとなかなか・・・

ワッホー 実力主義ですからね。

齋田選手 そうですね。勝って、認められて・・・という。だから最初は難しかったですね。自分は一人で行っていたんで、まず練習相手を探すところからはじめないといけない。ダブルスに出たかったらダブルスのパートナーも探さないといけない・・・

ワッホー 練習相手もパートナーも現地調達?

齋田選手 現地調達です。英語も全然できなかったのに(笑)。毎日、練習相手探して、ダブルスパートナー探して、ご飯どうしようか悩んで、そういうのでいっぱいいっぱいでした。余裕なかったですよ。

ワッホーインタビュー:車いすテニスプレーヤー 齋田悟司選手(株式会社シグマクシス所属)

ワッホー 試合どころじゃないですね(笑)。

齋田選手 はい(笑)。

ワッホー でも、パラでメダルも取られましたし、2003年には国際テニス連盟の車いすテニスプレーヤー賞も受賞されています。今は、練習相手やダブルスパートナーには、もちろん晩ご飯を一緒に食べる仲間にも(笑)困らないんじゃないですか?
齋田選手 そうですね。ツアーの中で、とくに仲のいい選手とかもいますし、トップの選手はみんな、最低1回はダブルスを組んだし、練習なんかも空いてる選手を探して、スムーズにできるようになりましたね。初めて行った大会なんかで「こういうおいしいところあるよ」とか教えてくれたりとかもあるので(笑)、今は試合に行くのが楽しみです。

ワッホー 今は齋田さんが作り上げてきた日本選手のイメージというのもあるので、後輩の選手なんかは海外に行きやすいでしょうね?

齋田選手 そうですね。

ワッホー 「日本から来た」と言えば、「オー、あのSAIDAのいる国ね」みたいな?

齋田選手 そういう部分はあるかもしれませんね(笑)。
 
 
 
 
 
ページTOPへ